インタビュー:柳沢友也さん(柔術家)〜帰ってきた柔術王子

自分らしく懸命に生きている人たちにフォーカスしたインタビューコンテンツ「My Best Of My Life」第3回のゲストは、2010年に世界王者 ギリャルミ・メンデスや2014年に世界王者 パウロ・ミヤオを得意のオープンガードで封じた実績をもつ柔術家の柳沢友也さんにお話をうかがいました。

プロフィール

柳沢 友也

やなぎさわ ともや

1984年生まれ。柔術黒帯。14才から名門PURBRED大宮で柔術を習い22才で黒帯になる。柔術歴20年以上。国際大会を中心に入賞を重ね本場ブラジルで修行し更に技術を高める。師匠は故・吉岡大

主な戦績

・パン・アメリカン選手権 ジュベニウ青帯 優勝(2001年)
・パン・アメリカン選手権 紫帯 優勝(2004年)
・アジアオープン選手権 茶帯 優勝(2006年)
・パン・アメリカン選手権 黒帯 3位(2007年)
・ヨーロピアンオープン選手権 黒帯 3位(2010年)
・世界柔術選手権(ムンジアル) 日本予選 優勝(2012年)

Profile Picture

ご自身の学生時代について

小学生の頃は活発で、明るくていつもふざけている少年でした。運動も球技も、何でもできていた気がします。短距離走も速かったです。授業終了後は、毎日暗くなるまでサッカーやバスケットボールで遊んでいました。

中学では、NBAや漫画スラムダンクの影響でバスケ部に入部。しかし、中学2年の頃にPUREBRED大宮に入門してからは行かなくなりました。そして高校も部活に入らずジム通い。高校には「何かを本気で目指す人」がいなくて、熱量に差があってあわなかったのだと思います。

2001年のパン・アメリカン選手権 ジュベニウ青帯の表彰台にて

14歳から通い始めた当時のPUREBRED柔術チームは異常な雰囲気で、4時間の長時間スパーや吉岡さんとの100本極めスパーが主な練習でした。吉岡大さん・宍戸勇さんがジムの2トップ。感情剥き出しの練習なので、みんなよく怪我をしていました。そして、納得いくまでスパーは続きます。「もう一本(リベンジマッチ)いいですか?」は日常でした。

エンセン井上さんの柔術クラスには、和道稔之さん・桑原幸一さん・塩田歩さんがいて、たまに早川光由さんも見かけました。ほかにも、朝日昇さんや山本KID徳郁さんなどのすごい熱量の人たちが集まっていて、「ここは僕の居場所だ」と勝手に解釈して心地よかった記憶があります。

修斗に出る前の山本KID徳郁さん

青帯の頃に初めてスパーをしたのを覚えています。マウント取ったら周りがざわつきはじめました。その時はそれで終わったのですが、後日指名されてレスリングの投げできっちり倍やられました。

先輩の吉岡大さんに「みんなで行ったほうが団体割引で安くなるから」と誘われて、2000年のパンナムにジュベニウの青帯で出場して、3回勝って優勝して、どんどん柔術にのめり込んでいきました。

PUREBRED(ピュアブレッド)柔術

価格¥2,530

順位290,412位

エンセン 井上, 宍戸 勇, 鏑木 利行, ほか

発行晋遊舎

発売日2011年10月3日

Amazonを開く

Supported by amazon Product Advertising API

エンセン井上さんとの思い出

柔術ではポジションは取らせてくれるけど、絶対にタップしない。タップしたところは見たことがないです。

昔、僕がジムに迷惑かけたことがあって関係者からめちゃくちゃ怒られたのですが。エンセンさんに謝ったら「明日から無かったことにするからもうこの話はおしまいね」と握手して解決しました。

性格はさっぱりしていて練習は常に本気。人の魅力って強さだけでなくて引くこと許すことでボスとしての魅力が深まるんだなぁと思いました。

高校卒業後

高校卒業後はブラジルへ半年間ほど柔術修行に行きました。場所はサンパウロにあるバルボーザ先生のところです。

練習は、昼に各支部の先生が集まって合同練習と夜の一般向けのクラスがありました。僕は2部練習できなかったので昼のみです。時期は違いますが廣瀬さんや、福住さん、足関十段の今成さん、今成さんのお兄さんなど他にも日本人の方がたくさんいました。

左から柳沢さん・吉岡さん・関口さん・小野瀬さん

なかでもいつも一緒にいたのが今成さんのお兄さんです。当時20歳だった僕はややホームシックで英語、ポルトガル語が出来なかったので慣れるまで苦労してまして。(僕より10歳くらい?上だっかな)お兄さんはそんな僕をサポートしてくださいました。

英語が堪能で案内して下さったり、いつもご飯一緒でしたし、サンパウロでカレー屋をしている小林さんと3人で夜中まで喋っていました。多分ですが一緒に海も行ったかもしれません(笑)

吉岡大さんから学んだこと

吉岡さんから教わった技は全くなくて、何を聞いても「テキトー」か「気持ち」という返事でした。彼から学んだのは柔術に対しての熱量じゃないですかね。常に柔術のことだけを考えるという。

吉岡さん以上に柔術に全てを懸けた人はいなんじゃないですかね。本業の医師も辞められてましたし。オープンガードは吉岡さんに感化された部分もあります。いかに力を使わない柔術をするかを考えたらオープンガードが残りました。

バルボーザ道場での練習

マルコス・バルボーザ先生

バルボーザ道場では、当時茶帯だった僕が1番小さくて弱かったです。平均がライト級以上で、全員ガチガチのスタイル。3分ほどで息が切れるくらいです。極めもフルスイングでタップが遅いと壊されます。

マルコ・バルボーザ ザ・マスター・オブ柔術 [DVD]

価格¥3,991

順位181,395位

アーティストマルコス・バルボーザ

発行クエスト

発売日2007年1月20日

Amazonを開く

Supported by amazon Product Advertising API

そのなかでも、シセロ・コスタが強かったです。2004年 世界3位だったかな?現在はミヤオやレアンドロなどの有名選手を育成。手がグローブみたいに大きくて力強く、カラーを持たれると切れなくて煽られて引きづられました。この経験から力で対抗するのはやめようと思うようになり、カウンタースタイルを確立していきました。

シセロ・コスタ選手

他の道場で強かったのはフェルナンド・テレレのジムに所属していたフーベンス・シャーレス(当時茶帯)。のちに世界チャンピオンになるのですが、パワー・バランス・柔軟性、全てが揃っていました。現地に住んでいた若山さん(現在沖縄でジムを運営)の紹介で練習したのですが、まさかの時間無制限スパー。ほぼ何も出来ずに終わりました。
※のちにパリウスタという地元の試合で秒殺されました・・・

ブラジルのテレビ放送の試合にて

黒帯となってから

柔術魂2のインタビュー記事。4ページに渡って特集

22歳で黒帯を取得。当時の日本には若い黒帯が少なくて、日本最年少の黒帯としてブラジリアン柔術専門誌の柔術魂2で「PUREBREDの柔術王子」というキャッチコピーで取材していただきました。

黒帯は実力の差がすごくて、「トップの黒帯」と「普通の黒帯」では簡単に1本を取られてしまうぐらい、何もできないくらい実力に差がありました。そんな中で、ほとんどのトップどころの黒帯と試合をしたように思います。

ヨーロピアンオープン柔術選手権でメンデス選手とアドバン差で惜敗

そのなかでも、上手くて強かったのがホブソン・モウラ選手(1997〜2000年、2007年の世界王者)トップで止まってる時は力を感じさせないけど、力の出し入れが巧くて気がついたらパスされている感じ。黒帯になってから完全にパスされたのはホブソン・モウラだけです。他は全部オープンガードで防ぎました。

次に賢くて強かったのが、サムエル・ブラガ選手。突然階級を上げてきたのですが、道着の中はものすごいムキムキ(笑)

世界柔術選手権(ムンジアル)でパウロ・ミヤオと対戦

彼がベリンボロの原型なんじゃないですかね。身体が柔らかく休めるポジションを多用して、足関節も極めではなくポイント取るために使っていて、後半勝ちが見えてきたら物凄い力でホールドしてきました。賢いなぁといった印象。試合は場外に出てしまった僕の反則負けでした。

2014年の世界柔術選手権(ムンジアル)では、前年の世界王者 パウロ・ミヤオと対戦。この試合で印象的だったのは、すごいスピードと全く切れないスタミナ。相当トレーニングしたんでしょうね。
あの時は体調最悪でした。足をケガしていて(大腿四頭筋・肉離れ)トップの踏ん張りが効かなかったです。しかし、ケガ抜きにしても強かった。素直に認めます。

柔術界への復帰

ブラジルから帰国後より柔道整復師の学校へ通っていて、資格取得後は整形外科やデイサービスで働き、のちに埼玉で整骨院を開業。順調に患者さんが増えて介護事業を立ち上げてみたり、全く異業種の自動車工場で働いてみたり、ホームページを作ってみたり、投資の勉強をしてみたけど、どうもしっくりこない。全然おもしろくなくてモヤモヤしていました。

でも柔術の練習は続けていて、ダイヤモンドガードこと柿澤さん(現在リラクシン代表)とガチの練習をしていました。当時の柿澤さんも整骨院をやられていて、そのストレスからなのかイライラして、どんどん口が悪くなっていたのですが(柿澤さんすいません)、リラクシンをオープンしてから柿澤さんが、イキイキしてるんですよ。

PUREBRED時代からの仲なのですぐ分かりました。喋っても明るくて以前と全然違うなぁと。「疲れても心地よい疲れですよ、風邪はひけないですけど」と言われて「これだ!」と思いました。

MMAPLANETさんのインタビュー記事によると、柳沢さんは柿澤さんの目標としている柔術家のようです。

――ちなみに柿澤選手が目標にしている柔術家はいますか。

「そうですね……。柳沢友也さんと松本義彦さんですかね。柳沢さんは体が細く力が全然、無いように見えるんですが、達人のような動きをするんですよね。パウロ・ミヤオ選手といい試合をしていますし、勝負勘が凄い。なぜ、そんな動きができるのか訊いても『普通にやっているだけ』と言っていましたし、メンタルの強さも異常でした。」

【JBJJF】デラヒーバ杯2018黒帯ライト級出場、難攻不落のダイヤモンドガード=柿澤剛之「丁寧に正確に」

今後どのような事をやっていきたいですか?

スパーリングの様子。カウンターの精度がすごい!

リアルに人と繋がりたいです。それはセミナーであっても練習であっても。喜びは人と繋がることでしか得られないし、自分の想像する範囲外の事が起きるくらい柔術家として認知されたいです。

1年が早いです。だから急ぎます。

自分自身の強みはどこにあると思いますか?

  • 失敗を恐れず前に進む
  • 失敗してもクヨクヨしない

大切にしていることはなんですか?

第三者の助言、意見。俯瞰的に見えてるのでだいたい当たるから。相手の価値観・多様性の尊重ですね。あとは、ハインリッヒの法則。柔術だと、食事・睡眠・練習・メンタル。

好きな言葉や座右の銘があれば教えてください。

座右の銘

「継続は力なり」「変わることを恐れるな」

好きな言葉

勝敗は、戦いの前に決する

孫子

柔術ビギナーの方へメッセージ

最後に、ブラジリアン柔術をはじめたばかりのビギナーの方々へのメッセージをいただきました。

吸収できることが多くて1番楽しくて新鮮な時期かと思います。
仲間を増やして、技も覚えて人生豊かにしましょう!!続ける事が大事です。

柳沢 友也

まとめ

柳沢さんのインタビュー掲載「柔術魂2」を持ってます

柳沢さんはこれまでセミナーをやったことがなかったそうなのですが、今後は全国各地でセミナーやプライベートレッスンをやりたいそうです。さっそく今年に入ってからオープンガードのセミナーを開催してみたところ、すぐに完売という人気でした。

私もオープンガードを少し教えていただいたのですが、驚いたのは「空中エビ」という技術。それから相手のプレッシャーをずらして有利な体勢にしてからのカウンター。シンプルながら力に依存しない素晴らしい技術でした。しっかりと打ち込みをして、ぜひ使いこなせるようになりたいです。

柔術界復帰後の初インタビューにこのブログを選んでいただき、本当に光栄です。今後もぜひ応援していきたいなと思っています。

あわせて読みたい

この記事には続編があります。ぜひお読みください!

取材スタッフ

TUNETOMO 取材・文/イラスト

柔術紫帯。柔道黒帯。上級ウェブ解析士。デジタルマーケティングによるWeb戦略提案とUI/UXディレクションが専門分野。柔術とイラストレーションと洋服が好きすぎて、オリジナルのアパレルSHOPまで作ってしまった。