インタビュー前編:小野瀬龍也さん(柔術家)〜ピュアブレッドが見つからない!

自分らしく懸命に生きている人たちにフォーカスしたインタビューコンテンツ「My Best Of My Life」。第7回のゲストはリバーサルジム川口リディプス代表の小野瀬龍也さんです。

今回も特別インタビュアーとして柳沢友也さんを迎え、ピュアブレッド在籍時から現在に至るまでの貴重なエピソードなどを伺いました。小野瀬さんは言わずと知れた日本で最初にスパイダーガードを習得して並み居る強豪選手に勝利した柔術家で、前々回にインタビューさせていただいた毛利部 慎佑選手の先生です。

とても面白いエピソードが盛り沢山だったので、ざっくり「ピュアブレッド入会 & キラービー編」「吉岡大さん & 練習仲間編」「試合 & ジム経営編」の全3回に分けてお伝えしようと思います。

プロフィール

小野瀬 龍也

おのせ たつや

1976年生まれ。柔術黒帯。リバーサルジム川口REDIPS代表。
23才から名門PUREBRED大宮に入門し、自身の代名詞ともされているスパイダーガードと強い精神力を武器に数々の名勝負を展開。

主な戦績

・全日本柔術選手権 黒帯ライト級 優勝(2015年)
・世界柔術選手権 茶帯 フェザー級 3位(2004年)
・パン・アメリカン選手権 茶帯 フェザー級 準優勝(2004年)
・ADCC 日本予選 3位(2007年)

小野瀬龍也

ご自身の学生時代について

ピュアブレッド対談が実現!
柳沢

あまり小野瀬さんの昔のことって知らないんですよね。練習の時は、ほとんど練習しかしてなかったから。

TUNETOMO

じゃあ、集まって「練習したら帰る」だけの関係みたいな感じですかね。

小野瀬

そうなんですよ。

柳沢

・・で、小学校の頃ってどんな子だったんですか?

小野瀬

そうだね。小学校の時はサッカーやってた。普通の子だったかな。

小野瀬

あとプロレスとか好きだったかな。キン肉マン・UWF・格闘技が好きだった。

柳沢

格闘技はいつ頃から始めたんですか?

小野瀬

中学と高校は柔道部だった。中学の頃は結構強かったよ。

小野瀬

本当はサッカー部入ろうと思ってたんだけど、中学のサッカー部って大変でしょ。

小野瀬

柔道部のほうが楽だと思って入ったら、そっちのほうがキツかった(笑)

柳沢

高校の時は?

小野瀬

高校の時はね。柔道そんなやってなくて。柔道着にサンボスパッツに打撃ありっていう・・・

TUNETOMO

それって柔道部なんですか???(笑)

爆笑する柳沢さん
小野瀬

UWFとかサンボが流行ってたからね(笑)

柳沢

卒業してからピュアブレッドに入会するまでは、どうされてたんですか?

小野瀬

普通に働いてたよ。飲食店で正社員。

小野瀬

ずっと格闘技やりたかったんだけど、今みたいに気軽に通える感じじゃなかったしね。

解説:1990年代の格闘技道場について

1999年といえば、PRIDE.5で修斗ヘビー級王者エンセン井上(小野瀬さんの師匠)がPRIDEデビューした年。ピュアブレッド大宮は格闘技道場として、誰でもウェルカムという雰囲気ではなかったのかもしれません。

ちなみにPRIDE.1(高田延彦 vs ヒクソン・グレイシー)が1997年10月11日。ここを起点として、グレイシー柔術 vs 日本人格闘家という構図で総合格闘技界が盛り上がり始め、2000年代は空前の格闘技ブームとなりました。

ピュアブレッド大宮に入会

柳沢

ピュアブレッドはどうやって見つけたんですか?

小野瀬

雑誌に載ってたからなんだけど、たどり着かないの

小野瀬

あの住所に行っても何もない!(笑)

ピュアブレッドが見つからない!

雑誌に書いてある住所に何度行っても、駐車場と虎の看板しか見当たらなくて。それで、次に行った時は犬の看板に変わってて。犬の看板になってからは2回行ってます。ジムを見つけるまで1年かかりました。
※初期はスーパータイガージム(虎の看板)
※(犬の看板) → エンセンさんの愛犬

それで、ある時「ここだ!」ってジムの入り口を見つけたんだけど、朝日昇さんに「練習中だから邪魔すんな!」って追い返されて(笑)

それで、また1年くらいブランクが空いて、入会できたのは1999年。まだシューティングジム大宮だった頃。パンフレット見たら中井祐樹さんが載ってたりして。

自分は総合志向だったのですが「1年やって芽が出なかったらやめよう」と決めてました。柔術を練習するようになったきっかけは、仕事の都合で練習に行ける日が柔術しかなかったから。先生は野口さん。

エンセンさんが師匠ではあるんだけど、エンセンさんのクラスには1回も出たことなくて、一緒に練習もしたこともない。たぶん、俺の名前を覚えたのは茶帯くらいになってからかな。

朝日昇さん とは?

元修斗世界フェザー級王者で、修斗四天王の1人。木口道場の修斗クラス初代メンバーであり、1995年にシューティングジム大宮に移籍して代表に就任。観客もまばらだったプロ修斗の後楽園大会をチケットの入手が困難となる大会に導くなどプロ大会の活性化に貢献。現在は、東京イエローマンズを主催。

TUNETOMO

どっちが先輩なんですか?

柳沢

小野瀬さんが先ですよね?

小野瀬

あれ?俺、柳沢くんが先だと思ってた。

柳沢

自分は14歳の夏頃に入ったんですよ。たしか、すでに小野瀬さんいましたよ。

柳沢

小野瀬さん、道着じゃなかったですよね。

小野瀬

そう。総合志向だったから。

小野瀬

ちなみに、入会初日にいきなりスパーをやらされたんだけど、相手が山本聖子(元レスリング世界女王)だった。
※まだ高校生の頃

柳沢

僕は吉岡さんが美優さん(同じく元レスリング世界王者)とスパーしてるのを見たことがあります。
※RIZINで活躍する山本美憂選手は、当時エンセンさんの奥さんでした

小野瀬

俺はKIDさんと総合の初心者クラスでスパーしてた。

「神の子」山本”KID”徳郁さん
小野瀬

先生がマスだっていうのに、すっげー強く打ってくる人がいて。顔も濃いから日本語が分からない外国の人だと思って。

小野瀬

また次の日も強く打ってきて「やっぱ言葉が通じないなー」と思ってたら、更衣室ですごい流暢に日本語しゃべってて・・・

小野瀬

それがKIDさん(山本“KID”徳郁)だった(笑)

山本“KID”徳郁さんのこと

柳沢

KIDさんがいた頃って、小野瀬さん結構かぶってるんですよね。

小野瀬

そう。それでKIDさんって、ピュアブレッドに来なくなったでしょ。KILLER BEEを設立してから。それで俺もKILLER BEEに行ったでしょ。

柳沢

そうだ!

小野瀬

KIDさんが有名になった、2004年のK-1 WORLD MAX日本代表決定トーナメントの村浜戦の前日も一緒にいたんだよね。

柳沢

そういえば小野瀬さん、KILLER BEEに行ってましたねー。

村浜武洋さん とは?

シュートボクシング、プロレス、K-1、総合格闘技でマルチな活躍をした格闘家。K-1ルールで魔裟斗と好勝負したり、総合ルールでホイラー・グレイシーと引き分けた。「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」では優勝候補だったが、1回戦で山本“KID”徳郁と対戦して3度のダウンを奪われKO負け。

KILLER BEEのこと

小野瀬

ピュアブレッドもやばかったけど、KILLER BEEは違う意味でやばかった。

小野瀬

ピュアブレッドも入口の扉を開けるの勇気いるじゃん?

柳沢

はい。

小野瀬

KILLER BEEはもっと勇気いる。
雑居ビルの4階で、爆音が鳴り響いてて、鉄格子みたいなのあって。

柳沢

クラブみたいな感じですかね。

小野瀬

それで、ピュアブレッドにはクラスがあったでしょ?
KILLER BEEにはクラスがなかった。

小野瀬

強い人だけ生き残るみたいな。

柳沢

えーーーーー!?

小野瀬

それで俺が入ってからクラスとかやるようになって、ちょっとジムっぽくなってきたんだよね。

小野瀬

そしたらKIDさんがK-1で売れて、一気に人が増えた。

柳沢

おーーーーー!

小野瀬

それでさ。KIDさんとホイラー・グレイシーの試合があったの覚えてる?

柳沢

はい。

小野瀬

俺、KIDさんから試合前のトレーニングキャンプに呼ばれたんだけど、すげー悩んで。

小野瀬

それで「柔術家だから、やっぱホイラーを応援する」って言って行かなかった(笑)

柳沢さん、大爆笑!

ホイラー・グレイシーとはこんな人。

柳沢

小野瀬さんの柔術クラスで、KIDさんが柔術やることもあったんですか?

小野瀬

あった。あった。そういえば、KILLER BEEの最初の柔術クラスは今考えるとスゲー豪華だよ。

小野瀬

俺がいて、受けがKIDさん。あと田村一聖とか、福田力とか、朴光哲とか。

柳沢

すごい選手ばかり!

小野瀬

それで内弟子とかいっぱい来たんだけど、みんな辞めちゃった。

柳沢

残った人っているんですか?

小野瀬

当時から「センスあるな」と思ってた子だけ残ってるかな。矢地君とか。

小野瀬

矢地君(RIZINの矢地祐介選手)は中学生くらいの頃に教えてた。

TUNETOMO

えええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(驚)

まとめ

うかがったお話を時系列で整理してみたところ、おそらく小野瀬さんは1999年の3月までに入会。柳沢さんは1998年の夏に入会という関係性で、実はちょっとだけ柳沢さんが先輩だったようです。RIZINで活躍中の矢地選手の最初の柔術の先生が、小野瀬さんであることも分かって驚きでしたね。

次回は吉岡大さんとのエピソードを中心にお伝えします。お楽しみに〜!

次回は、吉岡大さんとのエピソードやピュアブレッドの面々とのお話

取材スタッフ

TUNETOMO 取材・文/イラスト

柔術紫帯。柔道黒帯。上級ウェブ解析士。デジタルマーケティングによるWeb戦略提案とUI/UXディレクションが専門分野。柔術とイラストレーションと洋服が好きすぎて、オリジナルのアパレルSHOPまで作ってしまった。

柳沢友也 取材/撮影

1984年生まれ。柔術黒帯。柳澤柔術 代表。14才から名門PURBRED大宮で柔術を習い22才で黒帯になる。柔術歴20年以上。国際大会を中心に入賞を重ね本場ブラジルで修行し更に技術を高める。師匠は故・吉岡大。

必須の技術を忘れないために

えび

ブラジリアン柔術などの寝技の攻防で必須の技術の1つに「えび」というムーブがあります。えびのように身体を曲げ伸ばしして、下からのポジショニング調整に使うのですが、初心者はおろそかにしがち。

そんな基本ムーブを忘れないよう、普段から刺繍グッズを身につけるのはおすすめです!