インタビュー前編:太田純一さん(OOTA DOJO代表)〜なりゆきで始まった格闘技人生

自分らしく懸命に生きている人たちにフォーカスしたインタビューコンテンツ「My Best Of My Life」第6回のゲストは埼玉県内で4店舗のジムを運営するOOTA DOJO代表であり、パンクラス公認審判員の太田純一さんです。

今回は特別インタビュアーとして、2021年4月より埼玉県春日部市にて道場経営をスタートした柳沢友也さんを迎えて、柔術黒帯の視点や道場経営者視点で気になることなどもお聞きしました。

選手引退後のセカンドキャリアで悩んでいる方、将来ジムや道場経営を考えている方々の参考になると嬉しいです。

プロフィール

太田 純一

おおた じゅんいち

1980年生まれ。プロMMA選手として引退後、審判員や道場・カフェ経営など多方面で活動。パンクラス公認審判員。OOTA DOJO代表。柔術茶帯。

主な戦績

・プロMMA戦績 16勝9敗4分
・パンクラス戦績 7勝4敗2分
・ケージフォース戦績 2勝1敗

獲得タイトル
パンクラスゲート ライト級プロ昇格トーナメント優勝(2009年)

太田純一

ご自身の学生時代について

TUNETOMO

小さな頃から格闘技に興味があったのですか?

太田

まったく興味はなくて、僕が格闘技を始めたのは15歳です。しかも、やりたくて始めた訳ではなくて、工業高等専門学校という5年制の学校に入学して、友達から「部活の見学に行かない?」と誘われて、ついて行ったところが伝統派空手部で。

見学して、「痛そうだし絶対やらない」と思いました。

でも、先輩から「どう?君たち入部する?」と聞かれた際に、一緒に行った奴らがみんな「入ります!」と答えるので、僕もなりゆきで入部することになって6年間続けました。
※1年留年してます

柳沢

試合には出ていたのですか?

太田

市民大会みたいなのには出てましたが、そんなに強くはなかったです。

高田道場の新弟子入門テストを受験

太田純一さん

卒業間際になって高田道場が新弟子入門テストをやっていたのでノリで受けにいきました。2001年ですが、ちょうどPRIDEが流行っていた頃です。

サブミッションなどまったく知らず、スパーリングがあるっぽいと聞いていたので格闘技通信に掲載されていたノゲイラ(ペケーニョ)のギロチンチョークのやり方を覚えてから参加しました。

入門テストは、「スクワット1000回」「腕立てを動けなくなるまで」「アヒル歩き」などの基礎運動をひと通りやってからスパーリングだったのですが、自分も含め素人ばかりなので、ギロチンチョークが意外と極まるんですよ。

ギロチンチョークが炸裂!

それで「俺いけるじゃん!」と思ってたら、次は身長が2mくらいある人を指名されて。素人だけど、すごいパワーなんですよ。

それはもう、お人形さんのように床に叩きつけられたりして「死ぬんじゃないかな。これ !?」と思うくらいで。結局テストは不合格でした。

その相手は合格したのですが、それがノアとかパンクラスで英語の実況やってるスチュワート・フルトンです。

スチュワート・フルトンさんの入門後

高田道場の練習はものすごく大変で、大腿骨の骨が折れるなどして半年で辞めることになったそうです。その後、学校で英会話の先生やプロ格闘家として活動したのち、格闘技イベントの英語実況やリングアナウンサーの仕事を始めました。

卒業後のこと

柳沢

仕事はどうされてたんですか?

太田

1年くらい会社で働いたんですけど、30才くらいの先輩に給料の金額を聞いたら「残業ないと20万円もいかない」と聞いて、すぐ会社を辞めてフリーターになりました。

100円ショップで働いたり、不動産屋の事務をやったり、エキストラやったり、廃品回収、例のプールで働いたり。アルバイトはいろいろやりました。

柳沢

その頃に料理を覚えたんですか?

太田

1人暮らしが長くて料理はもともと好きだったんだけど、いま出してるイタリアンみたいな料理は、神楽坂のイタメシ屋でバイトしてた頃に覚えました。もうなくなっちゃったけど。

料理を作る太田さん

MMA選手時代

太田

入門テストで不合格となり、「総合格闘技でもやってみるか」と思って道場を探したのですが、当時はパラエストラ東京、木口道場、K'z FACTORYの3つくらいしか選択肢がなくて。

それで、パラエストラ東京は自宅から遠すぎ。K'z FACTORYは道に迷って見つけられなくて、木口道場の総合格闘技部門に入会しました。一般会員として。趣味で。

TUNETOMO

どんなきっかけでプロ選手になったんですか?

太田

僕はプロを目指そうなんて思ってなかったんですが、木口道場には「プロを目指したいです!」という人が月に10人くらい入会してきて、みんなすぐ辞めちゃって。ずーっと残ってたのは先輩の遠藤さんと僕だけで。

それで、五味さんが鬼のようなシゴキをしてきて「お前そんなんじゃプロになれねえぞ!チャンピオンになるんだろ!?」って言われたりするんですけど、プロを目指すなんて僕はひと言もいってなくて・・・(笑)

太田

その後、先輩に「鍵開けだけ頼んでいい?」と頼まれて道場に行って扉を開けたら、五味さんがいて「よっしゃ。練習やるぞ!」と言われて滅多打ちにあったり、プロ練にも出るようになったり、アマチュア大会にも出るようになったりして。

その頃に、JTCという和術慧舟會が主催する総合格闘技の全国大会で準優勝しまして。決勝戦の相手は高本さんでした。
※ 高本さんは現在、OOTA DOJOでブラジリアン柔術を指導

それで和術慧舟會が主催する大会にいろいろ呼んでもらえるようになって。デモリッションやケージフォースとか。

UFCやRIZINにも参戦した徳留一樹選手との試合
柳沢

太田さんが生き残れた理由って、どこにあると思われますか?

太田

ディフェンス力の高さと体の強さだと思います。僕はディフェンスがすごい得意なんですよ。

五味さんとか遠藤さんとかノブタツさんみたいな、国内でもトップクラスの強い奴に毎日のように追いかけ回されていたのでディフェンス力がすごい上がったのと、あの拷問のようなトレーニングで体が強くなったこと。

ほとんどの人は途中で体を壊して、辞めちゃうんですけどね。

太田

これは皆さんによく言うことなんですけど、パンチは偶然あたっても、ディフェンスは偶然できないですからね。

だからディフェンスをしっかりやれと。あご引いて、ガードあげろと。寝技にしても、まずは極められないこと。逃げ切ること。逃げ切れば、いつかはチャンス来るんで。

それが僕は大事だと思います。まずは負けないこと。負けないの延長線上に勝ちがありますからね。

TUNETOMO

プロMMA選手は何才くらいまで続けたんですか?

太田

31才です。先輩の遠藤さんが眼のケガで引退しちゃって。練習仲間がいなくなったんですよ。それでも出稽古で週に2回くらいは練習できてたんですけど、みるみる衰えていって。

それで「潮時だな」と思って。こっから先に、もう強くなることはないんだなと思って辞めましたね。

柳沢

引退理由は、ピークを更新できなくなったからですかね。

太田

そうです。僕はあまり勝ち負けは気にしてなくて。
練習していて「前回の自分より、今回の自分のほうが絶対強くなってる」ってならないと練習する意味がないから。

最後のほうになって「俺ってもう強くなってないんだ」って気づいちゃって。ピーターパンが普通の人間に戻ったみたいに、一気に素にかえっちゃって・・・。

強くなってれば、この先また勝ちもあるんですけど、強くなってないとこの先、ただただ踏み台にされたりしてケガするか、消耗品として生きていくだけなんで。

思い出作りとか、お客さん呼べるようなスター選手ならそれでもいいんですけど、そうでもないのに下のほうでうだつの上がらない試合してるんだったら、もうこれで終わりだなーと思って。

太田さんのパンクラスでの戦績

引退試合のこと

最後なんで自由にやっていいですか?」って先生や先輩に言ったんですよ。普段やらないですけど、足止めて全力で打ち合いやってみたいですって。そうしたら「好きにやれよ」って。

それでまあ、ものの見事に玉砕するという・・・。

そういう負け方もしたんで、悔いはないですよね。もう少しやれればとか、仲間がいたらとか考えますけど、それってやっぱり込みでの人生なんで。

僕はそういう星のもとに生まれたんだなって、もうしょうがないなって、しっかり諦めて終わりにしましたね。だから、そっからはもう試合には出てないです。

TUNETOMO

そこから、どうやって審判員の仕事につながるんですか?

太田

格闘技で散々これまで世話になってきたんで、少しでも業界の役に立てればと思って。

特にパンクラスは、僕みたいなパッとしない選手を使ってくれていて、非常にありがたかったんで。試合の機会もくれて。

なので、勉強もさせてもらって、やってみようという気持ちで審判員の仕事を始めたんですよ。

後編は、引退後の審判員としての活動や、道場・カフェ経営のお話などです。

取材スタッフ

TUNETOMO 取材・文/イラスト

柔術紫帯。柔道黒帯。上級ウェブ解析士。デジタルマーケティングによるWeb戦略提案とUI/UXディレクションが専門分野。柔術とイラストレーションと洋服が好きすぎて、オリジナルのアパレルSHOPまで作ってしまった。

柳沢友也 取材/撮影

1984年生まれ。柔術黒帯。柳澤柔術 代表。14才から名門PURBRED大宮で柔術を習い22才で黒帯になる。柔術歴20年以上。国際大会を中心に入賞を重ね本場ブラジルで修行し更に技術を高める。師匠は故・吉岡大。

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柔術イラストレーション

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