ジークンドーとは武術なのか?

ジークンドーの代名詞「サイドキック」

うちの道場仲間の1人が「Tuneさんの言葉で、忘れられない言葉があるんですよ」と神妙な顔で言うので、てっきり柔術関係のことかな?と思ったら、意外にもジークンドーに関しての言葉でした。

それは「ジークンドーとは生き方そのもの」という言葉。でもこれは、私のポリシーや人生訓などではなくジークンドーをやっている人なら誰でも知っている「ジークンドーの哲学」についての言葉なのです。

そこで今回はジークンドーの哲学について、その練習仲間にも分かるように解説したいと思います。

ジークンドーとは「截(遮断)拳(攻撃)道(方法)」

ジークンドー(截拳道)という名前には、簡単に言うと「相手の攻撃を遮断する方法」という意味が込められています。世間一般的には、ブルースリーが目指していた相手の拳を遮りながら攻撃するという「攻防一体」の攻撃を核とした超実戦的な格闘スタイルの総称として使われています。

ジークンドーは「武術」ではない

ブルースリーは自らが確立した格闘スタイルを「ジークンドー(截拳道)」と命名しましたが、それは1つの武術としてカテゴライズするのではなく、哲学の意味合いの強いものでした。

「ジークンドー」とは、目の前に現れる困難に抗って、自分のゴールを目指して学び続ける、成長し続ける姿勢。「人生に立ち向かう姿勢そのもの」と言っても良いかもしれません。

そのため、ジークンドーには「これで奥義を極めた」という完成がありません。

それぞれのゴールを目指し学び続けるということ

ジョギングのイメージ

「それぞれのゴールを目指し学び続けるということ」その道程こそがジークンドーなのであれば、ブルースリーにとっての正解が必ずしも万人にとっての正解ではありません。

そのため、コンセプト派はその哲学を「色々な武術の良いところを取り入れて取捨選択し、その人独自の武術スタイルを創造する」と解釈し、オリジナル派は「リーが最終的に到達したスタイルは闘いの理想にとても近かった」という根拠から、まずそこを修練するのだと思います。

まとめ

ちょっと伝わりづらい哲学的な表現になってしまうのですが、私にとっての「柔術」とはジークンドーの一部、「ジークンドー」とは柔術の一部であると考えています。

ジークンドーの構えは利き手を前に構えます。それは「より強い攻撃を出せるサイドを前にして、最速で相手に強打を到達させる」ためなのですが、柔術は「打撃を封印したジークンドーである」と考えているので、柔術でも同じく利き手を前にして構えています。

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プロフィール

TUNETOMO 取材・文/イラスト

柔術紫帯。柔道黒帯。上級ウェブ解析士。デジタルマーケティングによるWeb戦略提案とUI/UXディレクションが専門分野。柔術とイラストレーションと洋服が好きすぎて、オリジナルのアパレルSHOPまで作ってしまった。

ギロチンチョークの刺繍が人気です

ギロチンチョーク

「ギロチンチョーク」はブラジリアン柔術などの寝技の練習をしている人なら、誰でも1度は練習したことがありますよね。私も好きな極め技の1つです。